loader image

易経・易占を学ぶにあたって

高島嘉右衛門

高島嘉右衛門は、易者。明治の易聖

高島嘉右衛門の碑

 横浜での仕事を早く片付けられたので、高島嘉右衛門(たかしま・かえもん)の碑を見がてら散歩しようと、東急東横線・反町駅から歩き出しました。以前に一度、車で行ったことがありましたから、
すぐに分かるだろうと鷹をくくっていたら、なかなか、たどりつけませんでした。

 国道からすぐだった印象でしたが、やはり車と徒歩では距離感が違うものです。
このあたりは、横浜駅西口まで近く、マンションや新築戸建も増え、景色がずい分変わってきたこともありますが、実は私は方向音痴なのです。

 そうだ、そうだ、ともう一度スマートフォンをポッケから出し、山の上の方かなと足を進めると、
あった。ありました。
自分では高島台公園の近くだと思い込んでいたのですが、実際は高島山公園の近くでした。
それはグーグルのせいではなく、ひとり恥ずかしくなって、記念碑を覗き込みました。

 高島先生顕彰碑と銘打った碑には、「呑象高島嘉右衛門先生は壮年明治維新の風雲に際会し志を国運の興隆に致し近代産業の先駆をなし横浜の基礎を築ける功績大なり。殊にその経綸の易理に鍳て実践せられしは最も偉なりと称すべし・・・」という威厳ある文が刻まれていました。

調べましたら、昭和31年に汎日本易学協会、つまり加藤大岳先生の会によって、建てられたものでした。荒井省一朗氏の発案で、顕彰碑の建立にとりかかったそうです。高島嘉右衛門翁の嗣子である高島長政氏も建立を喜んでいたようでした。

 昨年、学兄が会報「岳易開成」に投稿くださった折に、高島嘉右衛門翁が易占をする際、つまり筮するとき、筮竹を額につけた真剣さを見習うべきだと教えていただきました。

加藤大岳先生も高島嘉右衛門(易占家では、高島呑象とも呼ばれます)翁の甥で呑象二世と名乗っていた高島徳右衛門先生が筮するのは非常に見事だったと述懐されていて、「筮竹を捧げ持って、しばらく呼吸を止めておいて、息のまさに絶えようとする時、筮竹を二つに割るのです。精神というか気力というか、それを極限に緊張させた状態で筮に挑む。これは非常に積極性の対応の仕方です」と賞賛されていました。

 「幼より周易を喜び研鑽・・」などが記されていましたが、心の中で、「自分も易占いをしています」と語りかけました。かわりゆく景色でも、まだ碑が残っていることに感動し身も心も躍動しました。
 そして、記念碑の近くには、高島嘉右衛門の屋敷跡として〔かえもん公園〕や伊藤博文など政府要人たちとのサロンにしていた〔望欣台〕もありました。といいましても、何もない小さな公園です。事業家として高島嘉右衛門翁が明治初期に横浜の埋め立てに尽力し、鉄道を走らせ、ガス灯を引いたり、学校を設立したといった功績がたたえられていました。

 今はあまり、高島嘉右衛門翁のことを知る人がいない様子でしたが、そのふりそそぐ夕日のように、きっとこの丘から見守ってくださっているのだと、ひとりよがりの空想をしてみました。丘からは、埋め立てたという横浜の海岸線をかろうじて、見ることができ、遠くには横浜ベイブリッジも見えました。

高島嘉右衛門の碑に、ご興味ある方は電車でしたら、京急線の神奈川駅から寺脇道を登って行くと、急勾配ですが近いです。東急東横線・反町駅からは、比較的なだらかですが、歩いて20分ほどです。

高島嘉右衛門公園より

日本易学振興協会では、宇澤周峰先生が東京などで易経とともに、本格的な筮竹を使った周易・易占教室を開催しています。主に、三変筮法、六変筮法を中心にした易占法です。詳細はこちらからどうぞ

関連記事

  1. 落語に出てくる易者
  2. 風天小畜
  3. 加藤大岳先生の随筆
  4. 雑草魂と風山漸
  5. 日本易学振興協会コラム
  6. 満月と易経
PAGE TOP