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易経・易占を学ぶにあたって

書道と易経

易経は完結していない「革故鼎新」

 先日、92歳で亡くなった大井錦亭さんの遺墨展「書は命」に行ってきました。易学研究会での黒板書で乱筆を披露している私には、書道にはまったく縁がありません。ただ、お付き合いでしたので、顔を出して記帳し、会場をぐるりと回って帰ろうかと思っていました。しかし、どの作品も力強い筆の勢いがあり見入ってしまいました。
墨の香りもしてきそうな感じでしたが、とりわけ静かな会場のなかで、「革故鼎新」の作品にすぐに目がいきました。

 故きを捨て新しきを鼎る。易経・雑卦伝に書かれている言葉であらためて、諸兄姉にお伝えすることもありませんが、澤火革火風鼎の〔変わる〕という意味の違いを考えされられます。澤火革は、新しくすべてが変わる印象で、火風鼎(かふうてい)は、容れものは変わらずに、中身が変わるといった印象が分かりやすいと思います。
 序卦でも、49番目と50番目で、順番がひとつ違いという点も不思議だと感じます。まずは、澤火革でガラッと新しく変わり、火風鼎で、新しい材料を入れる。これは、一連になっていて、同時進行です。この見解はもちろん納得できます。加藤大岳先生は、「火風鼎は、古くからの占兆の伝承があるのかもわからない」と示唆していて、まさに殷周の青銅器が思い浮かばれます。
 火風鼎初六の爻辞「鼎趾を顚にす。否を出すに利ろし」では、さかさまにして、のこりかすを出します。革新とは、まずはここからはじめるというのは、感銘に値する教えです。取新、去故と両面、同時並行に由来することも物語っていますね。

挑戦者は、革新と成長を求めます。自分のあやまりに気付いて、過去に学んだ成果に安住することなく、一度、意識を捨てる。とらわれを捨てることからはじめることは、組織の人材にも求められています。このあたりは、易経が、占いだけでなく修身の書といわれる所以でもあります。
 しかし、歴史的に見ますと、革命はカッコイイものではなく、虐げられ弾圧され続けて、もうこれ以上は耐えられないといった怒りや感情が革命を起こしてきました。革命には争いが付き物で、多くの犠牲がでることも事実です。
 さて、書家の大井錦亭さんに話を戻します。中国古典はもとより、漢字かな混じりの和文調の作品もあり、三省堂の国語辞典、古語辞典、英和辞典の書体も作製されていたとのことで、私も学生時代に使っていた「明鏡」「クラウン」などの辞書があり、身近に感じられました。
 書を真剣に見つめていると、その一枚が持つ力が伝わってくるものもあります。
自身の人生を振り返られて、70代が一番充実していたと書かれており、80歳を過ぎても、もう一度古典を学びなおそうと常に前進、向上心を忘れずに、生涯、書に情熱を傾け、研鑽を重ねる姿に感銘を受けました。私も見習っていきたいと思います。
 最後の展示パネルには、次のように書かれていました。「書と人生は同じ、ひとつひとつの文字には物語がある。完成を望まず、未完成の魅力がある作品をつくる。この未完成の魅力こそが、貴いのです」と。
 易経も完成された☵☲水火既済で終わるのではなく、未完成の卦☲☵火水未済で終わっているところに、味があると思います。火水未済は全爻陰陽定位が不正にもかかわらず、応爻比爻がすべてあったり、辞にも「未済は亨る」とあり、後には亨るという希望があります。ひとつの終わりは、完結ではなく、未来へと継続していく。ひとつのゴールが終わっても、また新しいゴールを目指す。新たな成長の始まりなんだと本卦の教室に通っていた頃に、隣に座っていた先輩から教えてもらったことが、何倍にも膨らんで、よみがえってきました。

スペインのバルセロナにある教会サグラダ・ファミリアは、建築家ガウディ没後100年が近づきますが、まだ完成しないというのも、ロマンを感じ魅了し続ける理由かもしれません。(磯部周弦)

日本易学振興協会では、宇澤周峰先生が東京などで易経とともに、本格的な筮竹を使った周易・易占教室を開催しています。主に、三変筮法、六変筮法を中心にした易占法です。詳細はこちらからどうぞ

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