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易経・易占を学ぶにあたって

易の歴史

易占、易経の歴史

経典としての易経は、四書五経のなかでも、尊ばれる書物とされてきました。
「四書」とは『論語』『大学』『孟子』『中庸』の四つの書物です。 また、「五経」とは『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』の五つです。

易経の歴史は、今から3100年前の紀元前1100年ごろ、殷(いん)の最後の王であった、紂王(ちゅうおう)を文王と武王が倒して、周(しゅう)王朝を築いたあたりといわれています。

易経とは少し離れますが、文王の逸話としては、太公望が有名です。
文王(西伯)は太公望(呂尚)が釣りをしていたところで出会い、仕えてくれとたのむ場面です。
文王の父(太公)が待ち望んでいたような聖人で、自分の国を発展させてくれるだろうと語るのです。
史記で紹介されている歴史の一場面です。

さて、その周の文王が易経の64卦に彖辞(卦辞)をつくり、周公旦が384爻に爻辞(こうじ)をつくったといわれています。易経をつくった文王は賢く、殷を倒した武王は力強いという印象から、文武両道という言葉の語源となりました。

そして紀元前500年ごろ孔子が彖伝(たんでん)や象伝(しょうでん)繋辞伝、文言伝、説卦伝、序卦伝、雑卦伝の十翼をつくり、3000年以上も愛される易経となったのです。

思想的な解釈もできますが、易経は始皇帝の焚書坑儒を免れたことから、占筮としての面が強かったといわれています。

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