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易経・易占を学ぶにあたって

象をはじめて見た江戸の人

はじめて象を見た江戸っ子は?

 

私が住んでいる東中野から一駅、中野坂上の青梅街道沿いに宝仙寺があります。平安期の創建というから古刹です。山門には仁王がにらみをきかせ、本堂には鎌倉時代につくられた五大明王像も安置されていて、長い歴史の風雪を感じさせられます。そこに、象の供養塔がありました。
 江戸時代、好奇心旺盛であったと知られる将軍吉宗は、見たことがない象を見たいと所望し、海外から取り寄せたそうです。はじめは、浜離宮あたりで飼育され、江戸市中でも人気となりました。江戸っ子たちは、大きな象を見て、さぞ驚いたことでしょう。その後、ブームが去ってしまい、中野に引き取ることに。前述の宝仙寺あたりに象小屋があり、江戸郊外の中野でも、見物客から一儲けした者もいたそうです。しかし、環境や長旅の疲れもあってか、しばらくして、象は死んでしまいます。その時、世話をしていた人たちがねんごろに供養し、現在も宝仙寺に眠っていると伝わっています。

 この〔象〕という字は、動物のゾウを想像して、作られた漢字とも言われています。過去の資料のなかに、加藤大岳先生が、象の字について次のようにお話している箇所がありました。

「古代中国人が、ゾウという動物が南方にいるということは伝え聞いて知っていたのでしょう。そして、その動物は鼻が長いとか、体が大きいとか、体毛があるとか、皮膚が堅いなど特徴を伝え聞いていたのでしょうが、実際に見た人は、とても少なかったのだと思います。それで、その話を総合して、概ねこんな格好ではないかと想像画を描き、それを文字にしたものが、〔象〕という字なのでしょう。私たちが、易占考の土台のひとつとする象と、この文字の製作とは、発想が同じようなものですね」。

 一般的には、象の字といえば、動物のゾウを思い出しますが、それ以外にも、気象や現象といったように〔姿や形〕の意味に使われています。
そして、易を学んでいる私たちは、〔象〕といえば、易卦の形のことで通っています。
易経・繋辞下伝・第三章には、「象なるものは、像なり」とあって、丁寧に象と像の字を分けて説明しています。このあたりから、だんだんと「象」と「像」はかたち、かたどるという意味を使い分けていったようです。
前章で八卦や卦を自然や物に「かたどって」「あてはめて」物を発明したり、応用した話があるので、それを受けての一文だと思います。

 それにしても、早いもので、今年も残りわずかです。来年はどんな年になるのでしょうか。六十四卦の中で、そんな気持ちを表しているのは、☳☷雷地予の卦がすぐ浮かびあがります。
雷地予の予は、雷地豫とも書かれていました。旧字体なのか、少し不明ですが、辞書を引いていると、豫という字の本義は、大きい象です。また、説文解字には〔象の大なる者なり〕とあって、ゆったりとして、悦び楽しむに通じるのであろうと思います。
来年は、良い予感がしますので、準備して待ちたいものです。
今年も、易占コラムの、最後の一文までお読み頂き、ありがとう御座いました。感謝の気持ちでいっぱいです。また来年も一緒に易を勉強させてください。(磯部周弦)

日本易学振興協会では、宇澤周峰先生が東京などで易経とともに、イーチンタロットではなく、本格的な筮竹を使った周易・易占教室を開催しています。主に、三変筮法、六変筮法を中心にした易占法です。詳細はこちらからどうぞ

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