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易経・易占を学ぶにあたって

塙 保己一

知られざる盲目の偉人 塙 保己一(はなわ ほきいち)

 秋は、紅葉の季節です。と言いましても、実は私は、色弱なので、赤と緑や紅葉の色は分かりづらいのです。幼児期はお絵かきの時間に、お天道様を茶色で塗っていたら、先生に注意されましたが、キョトンとして理解できませんでした。「なんで自分だけ、色が分からないんだ」と暗い気持ちになったこともありました。年子の弟に尋ねましたら、僕も同じだよと笑っていました。
その後、弟は、コマーシャルやプロモーションビデオの映像関係の仕事につき、現在も業界人として忙しくしています。同じ現象や症状でも受け取る側によって違うものですね。数年前に、映画製作に携わり、エンドロールに名前が出たと、招待券をもらい、映画館の大きなスクリーンで見て、弟が誇らしく思えました。

 大人になってから、塙保己一(はなわ・ほきいち)を知りました。塙保己一は、何をした人か?
江戸時代の人で、盲人でありながら、学者になり、将軍家斉、家慶にお目見えするほどになった努力の偉人です。7歳で全盲となり、すぐに母親を亡くした後、座党に入って、按摩ハリ、三味線を厳しく仕込まれるも、自分は学問をやりたいので身が入らず、詫びて自殺を試みます。しかし、一歩手前で助けられ、座長に学問を許され、一心不乱に勉強したのです。本を耳で読んだという。凄い記憶力と精神力は涙なくして語れません。一生をかけて、『郡書類従』という後世の日本になくてはならない書籍を厳選した大全集を、分類わけをし完成させた人です。全盲でこれだけの大事業を成し遂げた人は、世界でもいないでしょう。映画化のプロジェクトもあると聞き、少しうれしくなりました。

塙保己一と易経

 渋谷に温故学会会館という塙保己一の記念館があると聞き、先日行ってまいりました。渋沢栄一が保存に一役買ったのですが、あのヘレン・ケラーが来日した際に、ここを表敬訪問したそうです。ヘレン・ケラーは母親から、日本には塙保己一という偉い人がいて、あなたのお手本になる人だとずっと言われて育ったからだという理由でした。

『郡書類従』は、私たち易者にも関係があり、易書も後世に伝える書として選ばれたそうです。ある時、幕府は、釈奠(せきてん)という孔子や十哲を祀る儀式を現在の湯島聖堂で復活させることになったのですが、室町時代に途絶えていたため、儀式に伴う服装や装飾などの法式について考証が必要だったため、塙保己一が教えたという逸話もあります。ちなみに、この儀式は現在も続いています。
本を分類して残すといっても、当時は木版です。文化財として残っている版木を見せて頂きましたが、戦火、震災にあっても一枚も消失していないと説明を受け、作者の強い念を感じ、感動が込み上げてきました。現在も、薄暗い倉庫に約2万枚の版木が粛然として保管されていました。

 古代から中世、近代にかけて、本は非常に高価で入手が難しいものでした。書物を手に入れるためには膨大な労力と費用がかかり、読書は特権的なことでした。
木版を彫り、摺るときは、版木に墨を塗って染み込ませ、その上に和紙を載せ、バレンでまんべんなく押して仕上げます。ある有名高校では古典の授業のテキストに、この木版で摺ったものを一部使うそうです。
 現代のデジタル時代では、本を手に入れることが非常に簡単で、クリックひとつでインターネットで多くの情報にアクセスできます。しかし、当時一冊の本を手に入れ、本を読むことがどれだけ大変だったかを知ることは、大切な学びです。一冊、一行、一字のありがたさを知るのに役立ちますね。
「眼聴耳視」この言葉は、仏教等で使われる言葉らしいですが、塙保己一と重なり、心に突き刺さりました。私も、色を見るのは苦手ですが、誰にでもハンデキャップはあります。無い能力よりも、自分に備わっている能力に感謝し、大切にすることが重要だと思います。

 易卦では☲☲離為火が、正常な目の基準設定卦として用いられることが多いのですが、その彖伝に「重明以て正に麗き、すなわち天下を化成す」という一文が好きです。何かこれだ!というものに自分の生涯をかけて、情熱をかけられるものがあるということは素晴らしいのだと考えます。(磯部周弦)

日本易学振興協会では、宇澤周峰先生が東京などで易経とともに、断易ではなく、本格的な筮竹を使った周易・易占教室を開催しています。主に、三変筮法、六変筮法を中心にした易占法です。詳細はこちらからどうぞ

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