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易経・易占を学ぶにあたって

足利学校と易占

足利学校と易占

数年前のある夏の日、ぶらり旅気分で、東京から栃木県にある史跡・足利学校を訪ねて「論語素読」に参加したことがあります。行動的でない私にしては、ちょっと珍しいことです。
足利学校の歴史は古く、創建は奈良や平安時代という説もある程です。鎌倉時代には既に、諸国から生徒が集まり学問に励んで、足利は風雅の一都会と讃美されていました。日本最古の学校の門をくぐると、孔子廟があったり、庭園もあり、静かな時間が流れています。

足利学校の学長は、庠主(しょうしゅ)と呼ばれ、九代の閑室元佶は、あの関ヶ原の戦いの際、徳川家康に従って陣中で盛んに易占を行い、戦に役立てたそうです。そのため徳川家との結びつきが強く、家康公から贈られた、「学」という文字もありました。その後、幕府の直轄領にまでなったのです。

方丈と呼ばれる御座敷を見学にあがると、筮竹や将軍へ奉納した年筮の内容も展示していました。毎年冬至に、年筮を執って、正月十五日に江戸城へ行ったとする記録が残っています。この将軍家への〔年筮献上〕は、幕末まで続いていたのです。
そして、国宝に指定されている『宋版周易注疏』が伝わっています。展示されていたのは複製品ですが、見学者は、有難がって眺めていました。僕は、体中が熱くなり、この易を勉強しているんですよ!と思わず、誰かに言いたい気分でした。

昂ぶる気持ちのまま、にんまり顔で、外に出ると、「宥座之器」(ゆうざのき)といってカラっぽの時は傾いてしまい、水をほどほどにいれると起き上がってくる器もありました。試してみると、おっとっと、水を入れすぎるとひっくり返ってしまいます。中庸の教えです。説明書きには孔子の言葉「満ちて覆らないものはない」との記載。当然ですが、胸に染みます。

室町から戦国時代にかけて花開いた足利学校は、学徒三千人と、ザビエルが世界に紹介するくらいでした。さらに、唐に渡ったときに易占を学んだのだと思われる空海の名前も。直江兼続や武田信玄の軍師もここで学び、江戸の町を築いたとされる天海も周易を学んだとの記載があります。易学、易占術はもとより、兵法、医学、天文学に至るまでレベルが高い教育が行われたそうです。

2023年1月放送のNHKブラタモリで、足利特集をご覧になった方もいらっしゃると思います。足利学校も紹介されていました。


時代とともに、坂東の大学の役割を終えて、明治初めに幕を下ろしましたが、それにしても、足利学校の精神は現在に引き継がれています。ちなみに、平成十四年に、足利学校へ宇澤周峰先生と協会会員有志で見学会へいかれたそうです。

閑静な雰囲気の史跡を後にして、渡良瀬川の河原におりて流れをみながらぼんやりしました。吹く風に温もりさえ感じ、川面が輝いて見えました。理想の易者へは、まだまだ遠い道のりですが、改めて易占の勉強を振り返ってみたり、私はどうして易占をはじめたのだっけ?と思い返したりしました。

さて、史跡近くのマンホールには易卦が装飾されていて、驚きました。枠の辺りを良く見ると風山漸と地天泰です。なるほど縁起がよさそうですね。マンホールの蓋は丸い形なので、どんなに向きが変わっても穴に落ちることはないので、『落ちない』と学問のゆかりの地として、合格をかけているらしいです。足利市もニクイですね。ふと、いにしえの町で、歴史の重みを再認識した一日を思い出しました。(磯部周弦)

日本易学振興協会では、宇澤周峰先生が東京などで易経とともに、本格的な筮竹を使った周易・易占教室を開催しています。主に、三変筮法、六変筮法を中心にした易占法です。詳細はこちらからどうぞ

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