loader image

易経・易占を学ぶにあたって

夕日が、きれいなのは なぜ?山火賁

夕日が、きれいなのは なぜ?易経・山火賁

 東北へ出張の折、夕刻に早めに帰路につければ、新幹線を使わず、在来線の東北線に乗って、ボックス席の窓側に陣取ることにしています。運が良ければ、夕日に富士山のシルエットを拝むことができるからです。
 車窓から、薄紅色をした夕日が、町を染めて、沈んでいく姿を眺めると、哀愁を感じて、こんな私でも、今日という一日が、染み入るようにいとおしく感じるのです。忙しく変わりゆく都会の毎日の中で、電車の窓からは、変わらないこの景色が私をホッとさせてくれます。たまに小さなご褒美で缶チューハイを開けることも。

 車両の他の座席を見ると、色々な乗客が目に入ってきます。学校の部活帰りでしょうか、楽しく話している高校生。席が空いていても、なぜか頑なに座らず、立っているご婦人。誰に会いに行くのか、念入りに化粧をしている女性。公共の場だろうに…、と思いながら、浮き立つ女心に免じて、許してあげようかなどと勝手に想像しています。

電車の揺れるリズムが心地よく、再び、外に目を戻すと、次第次第に暮れていき、鉄橋に差し掛かる。列車が、カーブでゆっくりと右へ曲がっていく。ありふれた景色といえばそうですが、お気に入りの風景です。

 しかし、私以外の乗客で、窓の外を見ている人は誰もいませんでした。
このあたりに住んでいる人は、いつも見慣れた風景なので、改めて、しみじみきれいと感じる事はないのでしょうか。

 さて、加藤大岳先生が、青年期に師事された詩人の佐藤春夫氏は、ご自身の住む土地について「美しさなどというものは、美人の女房のようなものだ」とおっしゃって、「良い所ですねといわれるが、住んでいる人は、その魅力に気づかない。山水に恵まれた我が国土は、四季それぞれに美しい」と日本を表現されていました。

 空を染める夕日が美しいのは、なぜでしょうか?
やはり思い出すのは、易卦の☶☲山火賁です。これは日没を表す卦です。夕日の色は、日の出とはまた違った魅力があります。夕日が美しく感じられるのは、その裏に、一日の終わりが隠れているからかもしれません。栄えることの裏には、衰退があるように、夕日の美しさには、もの寂しさが伴いますね。

易の八卦は、表と裏があり、人間もまた二つの面を持つ。

の明るさの裏には、裏卦のの影が隠れています。会員諸先輩方には、基本の話になってしまい、申し訳ないのですが、八卦には二面性があり、ここが、易占の難しさであり、魅力である部分です。
私たち人間も同じように、二つの顔を持っています。こんな私にだって、裏の顔があります。易占を理解することで、人間の心の奥深くも少しずつ見えてくるのではないかと思います。夕焼けの美しさと共に、寂しさも受け入れることで、より豊かな感覚が広がりますね。

☶☲山火賁・上爻の爻辞には、「白く賁る。咎なし」とあります。
山火賁の卦の極まるところなので、派手な飾りがなく、色彩を持たない白色となるという解釈です。易経的な美の価値観ですね。
 改めて、朝日と夕日を比較しますと、朝日の光はオレンジから、黄色へと移り変わります。周りの空気は清々しさに満ちています。それに対して、夕日はオレンジ色から、徐々に白くなって、やがて夜のとばりが降りてきます。

確かに、葛飾北斎の〔赤富士〕には、朝日がオレンジの朱色で描き出され、やはり縁起が良さそうです。一方、茜色の空などと表現される、真っ赤に染まる夕焼けは、オレンジからだんだんと白へと変わっていくのですね。まさに、太陽の力が失われ、照らす力も静かにが終る、易でもまさに、極まるところ。それで、白くなるのでしょうか。どうか、明日も、きっと良い一日でありますように。(磯部周弦)

日本易学振興協会では、宇澤周峰先生が東京などで易経とともに、本格的な筮竹を使った周易・易占教室を開催しています。主に、三変筮法、六変筮法を中心にした易占法です。詳細はこちらからどうぞ

日本易学振興協会への入会、お問合せは、こちらから

夕日が、きれいなのは なぜ?山火賁

関連記事

  1. 魚へんに占うで鮎
  2. 置かれた場所で咲きなさい易占コラム
  3. 聞くは無料神社や占いでは
  4. 書道と易経
  5. 象をはじめて見た江戸の人
  6. 金運と易占い
PAGE TOP