なぜ「当たるも八卦、当たらぬも八卦」といわれるのでしょうか。今回の易占コラムはこの由来を考えてみたいと思います。
日本易学振興協会の易学教室・易占教室では、易卦を得るのに筮竹(ぜいちく)を推奨しています。卦は揲筮操作に基づき、筮竹を捌けば卦は得られます。ちなみにこの「揲(ちょう)」という字は、筮竹を数える意味で「取り出す」「折りたたむ」という意味が含まれます。
しかし、筮竹といっても数を得るために用いるのですから、一般的に八面サイコロなどの簡易筮具を使ったり、数を出せるものなら電話番号、車のナンバー、生年月日などなど、梅花心易、無筮立卦といわれるものならば、もっと簡単に卦を得られます。
そこで占者が、真剣な姿勢ではなくても、どんな心理状態にあろうとも、卦は得られてしまいます。喫茶店でおしゃべりしながらでも、ソファで寝そべりながらでも、お酒を飲みながらでも、あるいは筮竹を払ったり、易の八面サイコロなどを転がしたりすれば、卦は得られるのです。卦は簡単に得られてしまいますから、多くの人は遊び感覚で次々と占ってしまいがちなのです。
しかし、簡単な気持ちで卦を取っていては、正しい卦を得ることは難しいでしょう。いわゆる「誤占」となり、結果として外れます。それではもう易占ではなくなります。
卦を得るときの姿勢が大切です。行儀が悪い姿勢で、結婚や経営、試験など人生を左右する一大事を占えないはずです。
易占は、遊びではないのです。遊び道具として卦を使っている人をみて、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言われてしまうのです。いい加減な気持ち、姿勢では易は当たらないのです。
本来の神秘性がある易占は、礼節を重んじます。まずは礼儀と姿勢からはじまるということを常に頭に入れて置いていただきたいと願います。正しい姿勢、真剣な姿勢で臨めば易は当たるものです。当たるようにできているのです。
易者の心構えとして昭和の易聖・加藤大岳先生は、次のことを述べられています。
「運勢判断のための易占ではなく、運勢善導のためになされる判断でなければならない」
「易占は、当てることは第二義であって人々の悩み、わずらえ、苦しみ、惑いを除去し、いかにしてこれに、希望と光明と平安とをもたらし来すべきかを占示することを第一義とすべきである」。
まさに、易占を通じての導きで、生き方を変える気づきになればという考え方です。
特に、易卦をじっと見て、自分や相談者の内面を探求し、今までの自分を見直し新しい自分に生まれ変わろうとする本人の努力があわさって、好転へ向かうのだと思います。
一般的に、コーチング、メンタリングという言葉が人材開発などで話題になった時期がありました。メンターとは、知的指導者や支援者だったり、ビジネスや人生における生き方の指導者と言っても過言ではないでしょう。いわゆる人生の師といった意味で親しまれていると思います。こういったメンターとの出会いで、自分の実力が発揮できます。易経は、まさにメンターであると言えます。熟読していれば、表面的な考えだけでなく、深い思考力、人間力がついてきて、周りからも信頼されてきます。何でも効率・能率良くという考えは、人間関係に亀裂が生じてきます。このような理由からも、リーダーが易経を学んでいることが分かるはずです。
もちろん、自分が悟ったようなことは、言ってはいけません。自分の価値観は易経だ!とはっきり分かった今、心は癒されていきます。しっかりした頑丈な精神、思考は、自分の身を守ってくれます。
最後の決裁をするのは、リーダーであり、企業でしたら社長です。責任を取るのはリーダー本人です。リーダーは孤独で、一人で決めることになります。周囲の意見は当たり前の意見です。その一般常識で決裁を下す時、だいたいが間違っています。易経のような高い価値観を身に付ければ、判断結論の正しさに周囲は納得し、皆満たされた気持ちになります。
あなたも、易占とともに易経を一緒に学びませんか。
奥が深い周易。神秘の世界が広がる易占を独学でなく、教室で学びませんか?少人数制だから、まったく易占い、易経が分からなくても、本格的な筮竹を使った易占を身に付けることができます。日本易学振興協会の易学教室の詳細はこちらから。
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