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易経・易占を学ぶにあたって

雪かきと易占い

水山蹇の雪道 雪かきという利他

〔雪の朝 二の字二の字の 下駄の跡〕(田捨女)。
易卦で見ると、雪道に下駄の足跡というと☴☴巽為風(そんいふう)かな?いやいや、二の字なのだから、まだ老陽かな?などと、つい卦象を浮かべてしまいます。
さて、この冬、大寒波が押し寄せ雪で大変な思いをされた地域の皆様には、お見舞い申し上げます。

昭和の易聖とよばれた、あの加藤大岳先生が少年期を過ごされた南会津の山奥では、冬場は1から2メートルを越える雪に埋もれたそうです。
当時、子供たちの冬の遊びといえば、まだスキーはなく、スケートだったそうで、それも氷上ではなく、町の通りの凍った雪の道路がスケート場になっていて、子供たちは、明日の朝に備えて、夕方に道路に水をまいたことで、そのために荷馬車がすべって大目玉をくらったこともあったそうです。

しかし、テカテカに光る雪氷で楽しく遊ぶ、北国の子供たちとはちがって、都会っ子の私には、危ない状況です。まさに、雪山を歩く象の☵☶水山蹇(すいざんけん)です。

蹇の字は、「寒い」に「足」で足が、かじかんで前に進めないことを表しています。水山蹇は、艱難辛苦を乗り越えるための人生観や社会観を表現した卦として、易占をたしなむ人によく知られることですので、改めて説明するほどのことではありませんが、数年前、東京都内でも雪が10センチ以上積もったことがありました。

ふとその日の朝を思い出すと、窓を開けると、別世界、一面銀世界でしたので、自宅から会社まで徒歩で15分くらいですが、路面に気を付けないといけないと思い、重装備をして、早めに出勤しました。
水山蹇という予想を反して、何事もなく、到着しました。それというのも、道中、雪かきがされていたからです。

考えると、雪かきは私が起きるよりもかなり前に誰かがしてくれたのでしょう。雪国では当然なのでしょうが、感謝しながら慎重に歩いていました。合気道の師範であり、思想家の内田樹さんは著書『下流志向』のなかで、この雪かきのことを若者へ向けて書いています。「もし雪かきがされていなかったら、雪は凍り付いて、そこを歩く人の中には転んで足をくじいた人がいたかもしれない。こういう仕事をする人が社会の要所要所にいないと、世の中はまわってゆかない。無言の賞賛を感じる行為である」と言っています。

私は、この雪かきのことが、易占の道と重なり合ってみえました。思えば、易占も加藤大岳先生や柳下尚範先生、宇澤周峰先生がこれまで、雪かきをしていただいたその道を、自分なりには、一生懸命歩いてきたつもりなのですが・・。
足元をみて、それこそしっかりと踏みしめていこうと改めて思います。

ともすれば平易にみえる易占法も、不要な部分や不合理な部分を削ぎ落として、濃厚なエッセンスをいただいているのでしょう。

こんなことを想像してみると、言い知れない感謝の思いが湧き起こってきました。自分は、易占を勉強しているのではなく、〔易占の研究〕を勉強していたに過ぎないのかも知れません。これからは、もっと易に対して、本質を感じ取っていきたいと思います。冬の空に気を引き締めました。(磯部周弦)

水山蹇の雪道

日本易学振興協会では、宇澤周峰先生が東京などで易経とともに、本格的な筮竹を使った周易・易占教室を開催しています。主に、三変筮法、六変筮法を中心にした易占法です。私たちが人生で行き詰ったときに、偉大な哲人たちが築いた易経、易占は、必ず助けとなります。人間としての道というか、人間学として、または組織や社会秩序、道徳として易経を学びたい方にもおすすめいたします。組織のリーダーとして、易経は最注目されています。これからの時代は、好業績をあげる上で必要とされるテクニック論は頭打ちになっています。そのようなテクニックがあっても、非常に技術的手法に偏っています。能力には限界があるのです。しかし、東洋思想の源である易経を身に付ければ、思考的にレベルアップできます。このような考えから思想学習として取り組まれている方もいらっしゃいます。詳細はこちらからどうぞ

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