易経をより身近に感じて頂けるように、易経の言葉を掲載しております。易経には、味わい深く、魅力的な語句がたくさんありますが、本卦から十翼の広い範囲で、特にこれは!という一節を選んで取り上げます。
〔約を納るるに牖よりす〕
この言葉は、☵☵坎為水の六四に記された爻辞に見られます。
まず、四爻の爻辞を掲げて置きます。
樽酒簋貳。缶を用う。約を納るるに牖よりす。終に咎なし
お酒やお供え物を用意して、器に盛ります。そしてそれを正面の扉ではなく、月明かり取りの窓から、そっと貢物を差し入れます。表向きには見せず、静かに、しかし確かに誠を尽くす。見方によっては「こころ配り」ともとれますが、もっと俗な表現をすれば、これは「袖の下」ともいえるかもしれません。
しかし、今はそういう手段を講じてでも、困難を乗り越えるべき時期なのです。なにせ☵☵坎為水です。
さて、易経の言葉は、自然界の理、人生の生き方といった部分と、分かりやすい例え話が織り交ぜられています。その点が、受け手の身にしみて分かる所以ではないでしょうか。
人は、失敗でしか、学べないことがあります。例えば人のやさしさのように。
〔約を納るるに牖よりす〕正面でなく裏窓から、そっと贈り物を差し出す。もし、あなたの誠が相手に届くならば、何とか活路を見出せて、修羅場をくぐり抜けることもできます。という解釈になりましょうか。
まさに、深く険しい困難の中にあっても、救いとなるキーマンや友人、先輩の存在が現れることがあります。そのとき、「人生は捨てたものじゃぁない」と気づかされる瞬間があるのです。
この世はとかく、ままならぬことばかりです。泥の中でもがくような苦しい日々に遭われた方もいらっしゃるでしょう。私も、煮え湯を何度か飲まされてきました。この悪因縁は、どうかしている!と恨んだこともありました。しかし、それもまた登竜門なのかもしれません。神様が私たちに課した〔試されごと〕だと考えることもできます。
四難卦の示すものは、何でしょうか。
人生の出来事や苦い経験は、いわば〔人生の隠し味〕です。それをどう味わうか。そして、自分の前に立ちはだかる壁や障害をどう乗り越えるか、それによって人としての器が決まるのではないでしょうか。
この☵☵坎為水だけに限らず、☵☳水雷屯、☵☶水山蹇、☱☵澤水困といった四難卦の辞には、一種、独特の生生しさと現実感があります。
余談ですが、四難卦という少々エグイ言い方をなぜ使うのでしょうか?三難卦でも、十五難卦でも、いいのではないかと聞いたことがあります。しかし、考えてみましたら、春夏秋冬、東西南北、元亨利貞、仁義礼智、東洋思想において「四」は基本の分類単位です。繋辞伝では、辞変象占を〔四聖道〕と称しており、また、太極から陰陽、四象と広がります。おそらく、易的な宇宙観となっているのが理由なのでしょう。皆様からのご意見や叱責をいただければ幸いです。
どなたでも、あの時は☵☵坎為水だったと思い返せることがあると思います。
私のごくごく近しい人の、体験談を少し挿入させてください。
会社の売上げが落ち、内部留保も底を突き、いよいよとなって、いくつかの銀行を回り、最後の望みとして融資を申し込みました。銀行の営業マンからも「99%大丈夫でしょう」と太鼓判を押されていた矢先のことでした。
数日後、車を運転しているとき、銀行からの電話が入りました。事務的な、淡々とした口調で告げられました。
「お借り入れは、出来ません」。
——そんな馬鹿な!一片に頭に血がのぼっていって、あまりの驚きと悔しさに、どうしていいかわからず、車内で、ひとり、ハンドルを叩き、声をあげ、ただ、ただ、うなだれてしまい、絶望的に沈んだそうです。不安とやりきれなさが、激しい怒りとなって爆発したのです。その銀行をののしりました。その後は、ただ、ただ、うなだれてしまい、絶望的に沈んだものです。万策尽きたか…と、血の気が引きました。
結局、別の銀行の営業マンのおかげで、条件付きながら借り入れに成功し、なんとか乗り越えることができました。
とのことです。〔約を納るるに牖よりす〕のため、ここで、具体的には書けません。お察しください。
胃がキリキリと痛み、苦しみの渦中にあるとき、「これを乗り越えれば新しい自分に出会える」と頭では分かっていても、それでも苦しいものです。皆様のなかでも、坎為水で窒息しそうな境涯の中でも、何とか首の皮一枚繋がったご経験をお持ちの方には共感して頂けるでしょう。
☵☵坎為水について、加藤大岳先生は、随筆の中でこう述べられています。
「人生に処して、己を律する心棒となるものが、〔孚〕ですね。☵☵坎為水の坎険のなかにおいてすら、〔孚ありそれ心とおる〕です。偏った心の働きを持つ愛というよりも、神に対して、己に対し、他の人にも持って、無心で対する孚を持ってするのが、
易思想かと考えられます。この、真実の愛を皆さんにも凝視して頂きたいと思います」
この言葉は、まさに易占・斯道への門として、静かに語られています。
あらゆる苦しい経験は、私たちを磨いてくれる〔砥石〕です。それは古くから言われてきたことですが、
実際にそう思えるようになるのには、喉元を過ぎたずっと後のこと。だいぶ経ってから、頷ける言葉です。
占い師やカウンセラーも、単なる心のなぐさめだけで、終わってしまってはいけません。
易にはしっかりと、易理と占術があり、それゆえに、易学と易占の二つの道を歩むのが、総仕上げであるのだと思います。
☵☵坎為水は、八純卦ですから、一難去ってまた一難。という意味合いがあります。
悩んだことを一回目で反省したり、変えないと、同じことが起こる現象だからかもしれません。困難な現象に、いくら怒ってみても、しかたありません。大切なのは、どう受け止め、どう向き合うかです。
☵☵坎為水など苦しみの卦に書かれた、人間くささは、こういったところにあります。また、魅力ともいえるでしょう。
時に、神様仏様を恨みたくなることもあるでしょう。けれど、その苦しみに引きずられるか、踏みとどまるか。それが人生の分かれ道です。どうも言葉がたかぶってしまいました。
困難の中でなお、毅然として立ち向かう人には、逃げ出したくなる私とは違って、何かが宿っているのでしょう。
加藤大岳先生はこうも述べています。
「少なくとも筮占の依頼者と同じ気持ちになって、その事柄に真剣に取り組む気力が出なければ、筮しても、うまい占は生まれない気がします」
今更ながら、その言葉の重みを痛感します。人生においても、占者としても、はがゆいかなです。時に、無力さを感じることがあります。それでも…、私にとって、易学は今や、なくてはならない存在となっています。
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