loader image

易経・易占を学ぶにあたって

風天小畜

道路の真ん中で車が故障! 易占ではどう見る?

 中古車販売ビッグモーター社のあくどい手口がニュースで伝えられていますが、勝手ながら、10月8日は、車の記念日にしました。
昨年、家内と車で祖母の墓参りへ多磨霊園に行った帰り道のことです。高速道路を降りて下道を走らせていましたが、急に愛車が道路の真ん中で動かなくなってしまったのです。後ろの車には迷惑かけてしまっているが、あわててギアを変えたり、エンジンをかけ直しても、どうやっても動かない。
まあ10万キロ近く乗っていたので、そろそろ寿命かとは思っていましたが、まさか、ここで?と「何にも悪いことしていないのに?!」と心の声を叫んでしまいました。

 しかし、幸運だったことは、事故も怪我もありませんでした。道路は、一車線でしたが、広めのバス通りであったこと。レッカー車を呼んだ後も、作業がとてもやりやすい場所だったのです。
 エンコしてしまった車は、よくドラマや映画で押して動かしているシーンがあるので、押せばいいと思っていたら大間違いで、いくら押してもピクリとも動きません。そこに、親切な一家が車から降りてきて、どうしたの?一緒に押しましょうと4人で押したらスルスルと動きました。走っているのを止めて、わざわざ降りてきてくれて、助かりました。何度も頭を下げて、お礼を言いました。
 さらに、対向車線を走っていたオートバイの男性も整備に詳しく、トラブルの状況を聞いて、「それはもう、レッカーを呼ぶしかないよ」と最適な助言をくれました。そのとおり、後日整備工場から連絡が入り、修理するなら驚くほど高額だというので、即廃車を決めました。周易では、車が進めなくなる爻辞は、次の2つが思い出されます。
   ☴☰風天小畜九三
   ☶☰山天大畜九二
風天小畜三爻「輿、輻を説く」輿(よ)は車、輻(ふく)は車のスポークにあたる部分でこれが抜けて進めない状態です。
山天大畜二爻「輿、輹を説く」読み方は、「よ、ふくをとく」と音は同じですが、よく見ると〔ふく〕の漢字が違います。
山天大畜二爻の〔輹〕は、〔とこばしり〕といって、車箱と車軸を縛るもの、シャフトのような重要な部分で、これをはずすと進めません。車を止められる爻辞で二つを比較して考えると先輩に聞き、なるほどと、風天小畜山天大畜のスケールの違いが分かりました。今回は、山天大畜二爻のようです。

 通行中の方が、向こうで車が立ち往生しているよと交番に伝えてくれたおかげで、お巡りさんもすぐに駆けつけてくれました。
せっかく、祖母の墓参りをして陰徳を積んだのに・・。と嘆く私の横で、家内はなぐさめてくれましたが、車に乗ってハンドルを握ると、色々なことを話せるよき相談相手だったなあと、愛車との別れを覚悟しました。
お巡りさんは、警察組織についての話など刑事ドラマとは違う現実や、子供には人気だが大人には嫌われる話などニコニコして話してくれました。

確かに、立ち往生してしまったが、ここが、高速道路の出口や、トンネル内、交差点内だったらと思うとゾッとしてきました。後日、車は馬と同じ、調度いい日時場所、倒れる時で良かったんだ。祖母が助けてくれているサインだったのだと思うようにしました。
 このくらいは、大難が小難でよかった方だと家内と二人で話しました。ひとつの現象でも捉え方が変われば、運が悪いから運が良いになるものだと、あらためて思いました。10月になると、その日の情景が思い出されて、胸が熱くなってしまいます。トラブルから学ぶことは大きいですね。
また、一瞬でも、出会った人を通じて、影響があるものです。そして、いつか困っている人が目の前にいたら、お助けし、お返ししなければと心に誓った日なのです。(磯部周弦)

日本易学振興協会では、宇澤周峰先生が東京などで易経とともに、本格的な筮竹を使った周易・易占教室を開催しています。主に、三変筮法、六変筮法を中心にした易占法です。私たちが人生で行き詰ったときに、偉大な哲人たちが築いた易経、易占は、必ず助けとなります。心に響く 易占いといわれたり、人間としての道というか、人間学として、または組織や社会秩序、道徳として易経を学びたい方にもおすすめいたします。組織のリーダーとして、易経は最注目されています。これからの時代は、好業績をあげる上で必要とされるテクニック論は頭打ちになっています。そのようなテクニックがあっても、非常に技術的手法に偏っています。能力には限界があるのです。しかし、東洋思想の源である易経を身に付ければ、思考的にレベルアップできます。このような考えから思想学習として取り組まれている方もいらっしゃいます。詳細はこちらからどうぞ

関連記事

  1. 足利学校と易占
  2. 雪かきと易占い
  3. 易経に学ぶ坤為地
  4. 佐藤一斉と易経
  5. 日本易学振興協会コラム
  6. 医は医なきを期する
PAGE TOP