6月あたりから鮎が、解禁になる季節ですね。先日、お鮨屋さんで、魚偏の漢字がたくさん並んでいるポスターを見ました。お腹もふくれて来て、手持ち無沙汰になっていたので、魚偏に「春」で鰆、さわらなど。読めない魚の漢字が多いものだと、なにげなく眺めていると、〔鮎〕で目が留まりました。
魚偏に、「占う」という字組み合わさったものか~。ひょっとすると占いに関係しているのかなと、好奇心が湧きましたので、調べてみました。
確かに、この漢字の由来には、古い日本の伝承や神話が関わっていました。
伝説によりますと、神功皇后が出征される前に、戦の勝敗を占うために、アユを使ったと言われています。占いの結果、彼女は戦に勝利したため、この魚は「勝利をもたらす魚」として神聖視されるようになりました。この故事に基づいて、魚偏に〔占〕という漢字が当てられ、〔鮎〕の字が作られたそうです。
古事記や日本書紀にも登場する神功皇后は、巫女のような超能力を持ち、のちに、神格化され、戦の神として崇拝される八幡神の母としても知られています。
〔鮎〕は日本の川魚の一つで、清らかな水に住むことから、古くから古くから清浄さや聖なる印象を持っています。こうした背景が、鮎に特別な意味を持たせ、漢字にも影響を与えたのだと思います。
加藤大岳先生は、名著『易の理論』のなかで、人間神性と動物の神性能力という少し難しい解説の部分で、この〔鮎〕を例えに挙げられていました。
「筮法も人間が、有する斯かる動物的神性を最も発現しやすい状態に置く一つの形式である、と私は考えております」と。
鮎や鮭は、産卵のために、海から川へと遡り、そこでその一生を終えます。東京の多摩川の上流でもかつては一尾も見られなかった鮎たちが、今では姿を見せるようになりました。人間が、稚鮎を捕まえ、適した川へと放流することで、その生態系を支える役割を果たしているそうです。
鮎は、その生長と産卵において、川を遡らなければなりません。しかし、遠い遠い海から、陸地の岸辺に辿り着いたとき、これから進む川が、適した清流であるのか、どうか。はるかな上流まで安全に遡れるのかを、どうして予見できるのだろうかと不思議に思います。
加藤大岳先生は、これを〔予覚〕と説明され、鮎には、遡るべき清流を予覚する能力が備わっているが、人間にはそのような能力はない。もし鮎がその予覚を失ってしまえば、その種は、次第に衰退してしまうことでしょう。との見解でした。
河口や湾内などに集まってきた、稚鮎を捕えて放流しても、その放流先の川が鮎の生長に適していなければ、たちまち死滅してしまいます。
これは、人間もまた同様で、適職や適材適所であれば力を発揮できます。一方で、合わない部署に配属されたならば、その能力を十分に活かすことが、出来ません。
これと同じように、中国で生まれた易経も、日本に渡ってきたとき、その環境に適していたのだと思います。私たち日本人は、易学・易占を取り入れ、それを使いながら生気ある呼吸をして、どの国よりも、易学を生活にまで落とし込んでいるのではないかと思っています。私はこれを誇りにしたいと思います。(磯部周弦)
日本易学振興協会では、宇澤周峰先生が東京などで易経とともに、本格的な筮竹を使った周易・易占教室を開催しています。主に、三変筮法、六変筮法を中心にした易占法です。詳細はこちらからどうぞ。
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日本易学振興協会のサイトの管理運営担当です。まだまだ易占、易学の修行中、精進してまいります。伝統ある筮竹を使う周易を次の時代へつないでいきたいと思います。