易経は、名言の宝庫です。本卦から十翼の広い範囲で、特にこれは!という一節を選んでを掲載しております。易経を色々な角度で味わって、より身近に感じて頂ければ幸いです。
〔寂然として動かず〕
絞り出されたような重さを感じるこの言葉は、周易翼伝の繋辞伝に書かれています。何か強い意志を感じさせるような口調です。 読み下し文は、次の通りです。
易は思うことなきなり。為すことなきなり。寂然として動かず。感じて遂に天下の故に通ず。天下の至神にあらざれば、其れたれか能く此れに與らん。
易を筮する時は、無心であるべきです。こう言われて来ました。作為があってはならず、単に念じて卦爻を得るのではありません。このような神秘的な境地で行うことが求められます。易義・易占法を扱う、易者としては、到達すべき境地であろうと思います。その境地に到るヒントがありそうです。
この〔寂然不動〕が、ある剣道場に掲げられていると聞きました。三菱の岩崎彌太郎が関与していたとされています。
この言葉が、誰が最初に言い出したのか、よりも、その内容を深く掘り下げることに価値があります。
いつの間にか、剣道や茶道でもいわゆる〔極意〕とされている言葉になっています。私の立場としては、禅の言葉とされるこの言葉ですが、これは易経が出典でしょう。
いずれにしても、一語に万金の重みがあると言われるように、この言葉には玄妙な意味と価値が込められているのが分かります。
また、武道において「丹田を意識せよ」とよく言われます。丹田とは、おへその少し下、下腹部あたりの位置を指しますが、これを体感するには、実際に体との対話が必要です。丹田を意識することは、体の中心に力を集中させ、安定した姿勢を保つためすべての武道に通じる重要な点です。
日本易学振興協会会員の方の中にも、武道の経験があり、既に体得されている方もいらっしゃるかと思います。
さて、天下無双の剣豪、あの宮本武蔵が著した『五輪の書』は、武術家はもちろん、一般の人にも愛読されている書物です。武蔵はその中で、戦いの技術や心構えを詳細に記し、多くの武道家に影響を与えました。
武道の教えは、そもそも、多くが秘伝や口伝で伝承されてきました。易占もまた同様に、先達易者たちにより、伝えられてきた、深い思想と実占により研鑽されてきた分野です。
さて、それはそれとしてもう少し武術の面から見て行きたいと思います。
天の気を取り入れて、丹田に下ろしてくると、下半身が充実してきます。上半身の無駄な力を抜くと、安定してきます。
易卦の☷☰地天泰がまさにその形。地の安定と天の広がりが調和した形を示し、丁度、このバランスの取り方を象徴しています。
画象はいかにも安泰の形です。逆に、☰☷天地否は、見るからに崩れ落ちそうな不安定さを感じます。
例えば、柔道では、技をかけられまいとすると、力が余計入ってしまい、それを利用して投げられることがあります。「柔よく剛を制す」は、易の教えに基づいていると思います。易は武術、ヨーガ、気功などにも応用できると考えられます。
さらに、ビジネスの場面でも、通じるものがあり、上体に力を入れずに接することで、信頼の絆を築くことができます。無理に力を入れるのではなく、自然体で対応することで、相手との関係がより良いものになるのではないでしょうか。
自分の心の中で、〔幕〕を張り、筮の座をこしらえる。
易占で筮を執る前には、座禅を組まれている方が多いと思います。私自身も、身につけたいと思い、東京都三田にある松原泰道氏ゆかりの龍源寺で一度座禅を体験させて頂いたことがあります。静寂に包まれ、重厚感があり、とても良い経験でした。
デジタル時代、私もスマホが手放せない現代は、脳はネットと繋がりっぱなしのように思えます。ネット依存症とでも言いますか、たまにはスマホの電源を切って静かに自分をみつめる、デジタルデトックスやマインドフルネス、瞑想などの効用がUCLA、イエール大学、慶應大学などでも研究されています。
また、米国アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏も禅の影響を受け、自宅にも座禅ができる和室のような静かな空間をつくっていたと言われています。
筮操作に話を戻します。筮する前に、座禅を組む目的は、集中力を高めることにあります。
〔無〕になりたいと思い、一度、座禅から筮操作までを、着ている服をすべて脱ぎ、裸で試みたこともありましたが、あまり集中できませんでした。
その後、試行錯誤し、易占の時の制服(ユニフォーム)として、作務衣を着ることにし、お線香を焚き、お経をあげる、深呼吸を繰返すなど、ひとつのルーティーンを作ることにしました。呼吸法は特に意識します。
剣道、柔道、合気道などの道着や医者の白衣、料理人のユニフォームなども同様で、これらの衣服に袖を通すことで気合が入るのと同じような感覚です。
もちろん、街占のような場面では、いつでもどこでも、まわりの人の気配を神経質に気にせずに、雑踏のなかでもスグに集中できる超集中力が必要になります。
そうした集中力を養うためには、日頃から鍛錬を積むことが重要です。
このようにしてこそ、腕の立つ易者として成長することができるでしょう。得意げに書いている私自身もまだまだ修練が足りませんが…。
春秋左氏伝には、敵国へ攻める陣中において、占筮をした場面が描かれていますし、武田信玄も合戦中に易占を執らせたという話が伝わっています。命がけでの占筮は、非常に緊迫した状況を物語っています。
これを踏まえて、加藤大岳先生は、常に自分の心の中で、〔幕〕をはって、筮の座をこしらえることができるように、自分で修練してゆくことが、易を行う上での大切な修練であるとされています。
自分の心の中で、安定した状態を保ち、集中できる環境を整えることが、易を行う上での大切な修練であるとされています。
加藤大岳先生は、〔習練の精神〕という章で次のように述べています。少し長いのですが、皆様と共有したいと思い、引用させていただきます。
「最初の名人になる習練の方法として、第一に瞬きをしないということ。それは結局、何を意味するかといえば、物を凝視することですね。ぢっとみつめることを指すのです。脇見をせずに一所を見つめることなのです。ぼうっとして瞬きをしないことではなく、意気込んで凝視することでしょう。(中略)もうひとつの物を拡大して見るという習練もそうですね。ぢっと凝視しておれば、それは対象物を拡大することになると思います。漫然として眺めていては何も見えて来ませんが、対象に打ち込んで現実と対照しつつ卦を凝視すれば、卦は拡大して見えて来るはずです。隠されているものも自然と現れて来ます。森羅万象が卦の中に含まれているのですから、これほど大きいものはありません。拡大されてくれば判断も自然と正確になりますね」
と、筮の心構えと、その後の読卦にも触れておられます。
正しい卦を得られなかったときは、私のどこが悪かったのか、何がダメだったのか、悩んでいます。皆様も色々と試されてみて、これは良いという効果的な集中法があれば、ご教授をいただけると幸いです。
易占で卦爻を得ること自体は、比較的簡単に始められますが、それだけで終わるわけではありません。誰でも始められる一方で、その深さや奥行きは果てしなく広がっています。敷居は低く、間口は広いものの、その探求には深い理解と集中が必要であり、まさに深遠な世界が広がっているのです。
日本易学振興協会では、東京などで本格的な筮竹を使った周易・易占教室を開催しています。詳細はこちらからどうぞ。
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日本易学振興協会のサイトの管理運営担当です。まだまだ易占、易学の修行中、精進してまいります。伝統ある筮竹を使う周易を次の時代へつないでいきたいと思います。