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易経・易占を学ぶにあたって

紀元書房と除夜の鐘易占いブログ

紀元書房と除夜の鐘

 早いもので、あっという間に一年が過ぎてしまいました。気付くともう師走ですね。師走の由来は、いつも落ち着いている、お坊さんや僧侶も走りまわるほど忙しい月である、というのが理由のひとつだそうですね。

さて、あるお寺の住職とお話をする機会があり、除夜の鐘を深夜から夕方へ変更したと言います。耳を疑いました。住職は困ったように、わずかに眉をひそめて教えてくれました。近隣の方から、夜はうるさい、迷惑という声があがったそうです。また、他の理由として参加者が暗いと足元が危ないという。いかにもごもっともですが、お寺も肩身が狭いのか。年末の恒例行事なので、少し心に引っかかります。

さて、加藤大岳先生は、夜遅くまで、大晦日もお仕事をされていたそうで、昔の原稿のなかで、かつて神田にあった紀元書房で年越しをされた際のことが書かれていましたので、一文をご紹介させてください。

時計が12時を打つと、窓の外に、かすかではあるが、人のざわめく気配が感じられる。初詣に神田明神に向かう人たちの足取りである。カーテンをめくって、外を見やると、外灯のために闇とは言えない。にしても、夜はまだ深く閉ざされた感じで、元旦の旦のきざしは何処にもうかがうことが出来ない。時計などというものは、人間の造りあげた一種の機械であるが、そういうものに人間の思惟ばかりか感覚までが、支配されているのではいまさらに考えさせられる

とありました。

昭和9年、加藤大岳先生が27歳頃に、起こされた紀元書房は、80年近い歴史がありました。加藤大岳先生をはじめ、熊崎健翁氏、中村文聡氏、吉村観水氏、石川雅章氏、田中洗顕氏、藪田嘉一郎氏、紀藤元之介氏らが出版した正統な易学の出版社でした。もちろんのことながら、易占、易経、占術の専門書籍や易占道具も販売していましたが、残念なことに平成29年に閉店しました。以前に伺って書籍を分けていただいたことがありますが、日本の易学界をリードして、一時代を築かれた歴史に幕が下ろされる時が来たという感があり、寂しさを覚えます。大正時代の建物には加藤先生の講話室があったり、膨大な資料があったそうで、関東大震災や先の大戦の折も、焼夷弾を屋上に浴びながらも、かなり歴史があったとのことでした。
ちなみに、紀元書房という屋号は、紀藤元之介氏から採用したのではなく、逆に紀元書房が出来て2、3年後に紀藤氏が仕事を手伝われていて、紀元書房からとってペンネームとされたとのことです。徴兵前の10代の美少年のころだったと述懐されています。

老舗の味、天麩羅屋さんと易者。

 その東京神田須田町の紀元書房の近くに、老舗の美味しい天麩羅屋さんがあったそうです。加藤大岳先生が店員に、たずねた時のことをお話されている箇所がありました。

同じ種、同じ衣、同じ油という条件が揃っていても、上手い天麩羅は、なかなか出来ないという。天麩羅屋でさえ、そうであるに、揲筮に全身の凝集を必要とし、その占断に精神の強い集中を尊ぶこの易占においては、その人の特性による秘伝があるのでしょうが、しかしまた、その人の秘伝を用いねば易占は出来ないというのではありません。その人なりの味のあるものは、出来るわけです。その人のうまみとか味といったものが秘伝というものだと思います。

と。確かに、加藤大岳先生が仰る通り、てんぷらの料理にしても、釣りや水泳なども、鍛錬の仕方や条件、道具が同じでも、実力の差が出る技術は多いですね。説得力のある言葉です。

私もぜひ、自分自身の易にたどり着きたいと心から感じました。今年、会員様にとっても泣き笑いの色々な出来事があったかとお察しします。私自身も一年を振り返りつつ、じっくり来年のテーマを考えたいと思います。引き続き来年も、再来年もご愛読賜りますよう、お願い申しあげます。(磯部周弦)

日本易学振興協会では、宇澤周峰先生が東京などで易経とともに、本格的な筮竹を使った周易・易占教室を開催しています。主に、三変筮法、六変筮法を中心にした易占法です。詳細はこちらからどうぞ

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